鯉のぼりの由来
端午の節句には、室内に飾る「五月人形や鎧兜」と屋外に飾る「鯉のぼり」があります。五月人形などは「厄などから子供を守る」ために、鯉のぼりは「健やかな成長と立身出世を願う」想いがあります。
鯉のぼりは、日本の風習で江戸時代に武家で始まっています。端午の節句に厄払いに菖蒲を用いることから菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となりました。この日、武士の家庭では、虫干しをかねて鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾っていました。
商人の家庭では、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに五色の吹流しを美々しく飾るようになったようです。さらに吹流しを飾るだけではなく、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描いたものを揚げていたようです。
「竜門」の故事は、後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となっています。
本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉と緋鯉の対で揚げるようになりましたが、昭和時代からは家族を表すものとして子鯉(青い鯉)を添えたものが主流となっています。標準的な鯉のぼりの揚げかたは、上から矢車、吹き流し、真鯉、緋鯉、子鯉です。
歌川広重『名所江戸百景』に鯉のぼりの絵がありますが、当時はまだ錦鯉が普及しておらず、真鯉のみの鯉のぼりが描かれています。
都市周辺では集合住宅や少子化などのため、童謡に歌われるような民家の庭に高々と鯉のぼりが揚がる風景は少なくなっています。高速道路などでは風速・風向を示す吹流しが、4月・5月には鯉のぼりに取って代えられる場合もありますね。
下の写真は、鳥取県日野町の日野川に泳ぐ鯉のぼりです。バックの山は、大山です。

文部省唱歌って何?
文部省唱歌とは、明治から昭和にかけて文部省が編纂した、尋常小学校、高等小学校、国民学校及び学制改革後の小学校の唱歌、芸能科音楽の教科書に掲載された楽曲の総称で、文部省が定めた正式名称ではないそうです。
「尋常小学唱歌」に収録された唱歌(全120曲)は、文部省が作詞者・作曲者に高額な報酬を払い、名は一切出さず、また作者本人も口外しないという契約を交わし、学校の音楽教育を通じて歌われ、広まったようです。唱歌は、合議制で編纂されたため、個人の著作物とするのは無理があるそうです。
検定教科書の時代になって著作者を明らかにしなければならなくまりましたが、その作業が学問的に行われたことはなく、著作者が判明しても根拠が弱いものも少なくないため、個々の作詞・作曲者を出さず「文部省唱歌」とだけ表記している教科書・歌集もあるようです。
文部省唱歌(尋常小学唱歌(五) 大正2年5月)
鯉のぼり 作詞は不詳、作曲は弘田龍太郎
私たちが習った教科書では、2番が抜けているようです。オリジナルは以下の歌詞です。
1.甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり
2.開ける広き其の口に
舟をも呑まん様(さま)見えて
ゆたかに振るう尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり
3.百瀬(ももせ)の滝を登りなば
忽(たちま)ち龍になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや鯉のぼり
こいのぼり 近藤宮子 作詞、作曲者不詳
この「こいのぼり」は、童謡です。近藤宮子さん作詞の「こいのぼり」は元々1番だけの歌だそうです。
屋根よりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
(昭和6年『エホンショウカ ハルノマキ』)

作詞者はわかりませんが、次のような2番の歌詞 も歌われているそうです。
みどりのかぜに さそわれて
ひらひらはためく ふきながし
くるくるまわる かざぐるま
おもしろそうに およいでる